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掃き出しバックアップ

年の瀬ということで長崎の実家へ。
27日夜熊本→愛媛
28日石槌山登山
29日下山、香川うどん・道後温泉→
30日愛媛→熊本→島原→長崎
という勝手気ままな冬休みを過ごしています。


最近は考えてることがまとまりを得ず。

一度決めた自分の方針がを揺らがせるかどうかまよいつつ考えてます。
がここで今の腑抜けた社会人も経験していない
学生の自分の考えをアウトプットしとこーと。
忘備録ですね。









まず、原理として、ワーホリから帰ってきて以来僕のスタンスは
生まれるときに神様に生きる意味など告げられたわけでもなく
僕がもっとも熱意を感じ、生きていると感じる「楽しむ」というのを第一義におき、
①「人生楽しむためにある」でした。



それと同時に高校時代、いや小さいころにダーウィンの進化論から影響を受け、人間はモトはサルだった。
ということから、人間としてではなく。
②「社会的に生きず、生物的に生きる」→ヒトとして生きるを原則にしてきました。



ですが、最近、地球の環境には限りがあるということを感じ。
このままでは人間が存続しなのではないかと思うようになりました。
最も大きかったのは僕の部屋の窓からの景色が変わったこと。
開発により森に囲まれていた僕の高校のまわりはハゲ山となり、山が削られていきました。
その森で遊んだ記憶もあり、田んぼ。杉林。それらは今は土の塊となり。削られてしましました。


また環境関連の本を読むと日本だけの環境でも大きく変わったいるんだなと。

そこで、②を考えた時に、僕は子孫を残したいと思いました。
生物として。
そして、①と考えている以上、子供にも①のような人生を送ってほしい(希望的願望かつ義務)
と考えました。

インディアンは7世代先のことまで考えて行動を起こすそうです。

僕は、人間は、社会は自分の子孫たちのためにこの環境を、
子供が人生は楽しむためにあると思えるような環境を残してやることができているのだろうか。

目先のことばかりを考え「持続可能性」ということを蔑ろにしているんじゃないか。

この①と②が相絡まり、自分の行動に自信がもてていません。


最近は仏教の本を読んでいます。
手塚治虫のブッダはすばらしい。
別にマンガばかりよんでるわけではないです。

自分が死んだあとの世界を考えてみる、目の前においしいドーナッツがある。

食べたい。

でもそこに自分というのは存在しないのでそれを食べることはかなわない。
自分の欲というものだけが、第三世界に存在し。
ただ空回りする。

自分の欲なんて空虚なものなのではないか。


そのさきに見えるもの
それが自分がするべきことなのではないか。

「お墓にお金は持っていけない」というが別にお墓に何を持ち込もうが関係ない。
それよりもこの後地球を継ぐもの(ちょっとガンダム)たちのためになにができたか。


そこと人生を楽しむことをなんとかすり合わせられないものか。


一義的に人間は滅びるべきだと感じてるといこともあるんだと思います。


求めないこと、期待しないこと。
それが人生を豊かにするものではないかと思う。
基準を低く。喜びをおおきく。
これがあったらいいよね。ではなくこれだけあればいいよね。へのシフトチェンジ





「持続可能性の模索」ひとつの大きな課題。

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自然の中で生物的に生きるをモットーにしてます。

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