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歩く、呼吸する。

最近 歩くことにはまっている。
正確には走ることにもはまっている。

自力での移動。


距離を稼ぐためでないにしろ。
一日中歩くこと。
陽が昇れば歩き。
陽が沈めば寝る。

歩くことに集中する。
昔書いたけど。
僕は生きることに集中したい。

歩く その一日を歩くためだけに集中できたらどんなに幸せだろう。

地球を歩き、寝、生活する。


要するにスーパーロングトレイルを歩きたい。


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これを考えた際、熊本→東京までの距離が1160km
一日50キロあるけば1か月たらずでたどり着いてしまうということに驚愕させられたのでした。
人間すごい。
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掃き出しバックアップ

年の瀬ということで長崎の実家へ。
27日夜熊本→愛媛
28日石槌山登山
29日下山、香川うどん・道後温泉→
30日愛媛→熊本→島原→長崎
という勝手気ままな冬休みを過ごしています。


最近は考えてることがまとまりを得ず。

一度決めた自分の方針がを揺らがせるかどうかまよいつつ考えてます。
がここで今の腑抜けた社会人も経験していない
学生の自分の考えをアウトプットしとこーと。
忘備録ですね。









まず、原理として、ワーホリから帰ってきて以来僕のスタンスは
生まれるときに神様に生きる意味など告げられたわけでもなく
僕がもっとも熱意を感じ、生きていると感じる「楽しむ」というのを第一義におき、
①「人生楽しむためにある」でした。



それと同時に高校時代、いや小さいころにダーウィンの進化論から影響を受け、人間はモトはサルだった。
ということから、人間としてではなく。
②「社会的に生きず、生物的に生きる」→ヒトとして生きるを原則にしてきました。



ですが、最近、地球の環境には限りがあるということを感じ。
このままでは人間が存続しなのではないかと思うようになりました。
最も大きかったのは僕の部屋の窓からの景色が変わったこと。
開発により森に囲まれていた僕の高校のまわりはハゲ山となり、山が削られていきました。
その森で遊んだ記憶もあり、田んぼ。杉林。それらは今は土の塊となり。削られてしましました。


また環境関連の本を読むと日本だけの環境でも大きく変わったいるんだなと。

そこで、②を考えた時に、僕は子孫を残したいと思いました。
生物として。
そして、①と考えている以上、子供にも①のような人生を送ってほしい(希望的願望かつ義務)
と考えました。

インディアンは7世代先のことまで考えて行動を起こすそうです。

僕は、人間は、社会は自分の子孫たちのためにこの環境を、
子供が人生は楽しむためにあると思えるような環境を残してやることができているのだろうか。

目先のことばかりを考え「持続可能性」ということを蔑ろにしているんじゃないか。

この①と②が相絡まり、自分の行動に自信がもてていません。


最近は仏教の本を読んでいます。
手塚治虫のブッダはすばらしい。
別にマンガばかりよんでるわけではないです。

自分が死んだあとの世界を考えてみる、目の前においしいドーナッツがある。

食べたい。

でもそこに自分というのは存在しないのでそれを食べることはかなわない。
自分の欲というものだけが、第三世界に存在し。
ただ空回りする。

自分の欲なんて空虚なものなのではないか。


そのさきに見えるもの
それが自分がするべきことなのではないか。

「お墓にお金は持っていけない」というが別にお墓に何を持ち込もうが関係ない。
それよりもこの後地球を継ぐもの(ちょっとガンダム)たちのためになにができたか。


そこと人生を楽しむことをなんとかすり合わせられないものか。


一義的に人間は滅びるべきだと感じてるといこともあるんだと思います。


求めないこと、期待しないこと。
それが人生を豊かにするものではないかと思う。
基準を低く。喜びをおおきく。
これがあったらいいよね。ではなくこれだけあればいいよね。へのシフトチェンジ





「持続可能性の模索」ひとつの大きな課題。

生きていく



10月にはいってから刺激的なことが多すぎる日々をおくっています。



テーマは生きる


ずっとヒトとして生きるがテーマですが今月は濃ゆい。



正木高志さんと四角大輔さんと
photo (3)


四角さんにはオーガニックのすばらしさを教えていただき。


正木さんにはヒトが生きることについて、いろいろな気づきを教えていただく。


是非ともまたお会いしていろい話しご教授願いたいお二人です。


特に食・暮らしについて。


簡単に、


食に関する文はこちらから。

→→食に関する文章byエンモトノリヒト


南阿蘇にあるVEGE BLISSでVEGEでORGANICな食べ物をいただき、

自分が食べていたもの。(とくにパッケージングされて売られているもの)が本当に何を食べているかわからない時代。



自分がヒトという生命を繋ぐバトンのひとつだとしたら、
僕のバトンはヒトというカタチを汚さずに後世に繋げているのだろうか?




食品産業の発達は人々が生きることを快適にし、人々に他のことをする時間を与え


その時間を用いて更なる発達をとげた。


それは素晴らしいことだし、その恩恵をうけて僕たちは暮らしている。


だけどそれ故、生きていくうえで必要不可欠であるはずの

                    

ではなくその先にある仕事や試験などについつい視線が行ってしまう


その結果インスタント食品で食事を済ませたり、食事を味と値段で評価してしまう
あ


*石田徹也さんの絵は非常に強い刺激を与えてくれる。



人々は暮らしの快適性を求めて、楽に生きていく方法を求めてきた。

じゃなくて、生きるのに苦労しようと


1日を食べるものを作り料理し頂く時間に費やす。


それでも生きていけるはずだ。


もう十分なテクノロジーを手に入れたはずだ。


ここまでヒトが生きてこれた証があるはずなのに、この暮らしを継続できないはずがない。




「あした なに着て 生きていく?」

というキャッチフレーズがある

僕は
「きょう なに食べて 生きていく?」

と問いたい。

20070911132806.jpg


or

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200年後もヒトが存続し、その時代のヒトビトに僕らが暮らす時代を最悪の時代だと呼ばれない為に。










そして暮らし


居候っこのアラスカにあこがれる森高くんが置いてた本を広げてみる。


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ホシノミチオさんの世界観。


僕のバイブルである映画「into the wild」



極地での暮らし。



人間のいない暮らし。



そこでこそ自分の生を見直せる気がする。




最近は極地にあこがれています。





そして、僕が勝手に師匠と仰いでるNZの人のブログやPAGEを見てみる。



BLOWING IN THE WIND



僕が暮らしたいのはどこか、どうやって生きていきたいのか。

AgKbf2gCMAAlFl3.jpg



思い出し、改めて確認する。



それを実現しちゃいけない理由を誰か教えてほしい。


photo (7)



山観


ご存じの方もいらっしゃるやもしれませんが、

先日Nepalに行ってまいりました。
_DSC0956.jpg


そうヒマラヤ山脈を拝みにです。


日本を出発し、香港を経由しカトマンズへ。

約12時間の移動。

久しぶり(というか1年ぶり)の海外。



今回の目標は
エベレストを見る。
高度5000M の世界を体感する。
民族について知見を広める
ネパール人の友達つくる。
ネパール料理をなんか覚える。

てきな感じでいきました。



結果から行くとなんだかんだ全部できました。



今回はGOKYO-RIというとこを目指していきました。
高度5400Mの世界。
日本の登山感をもって最悪ビバークできる装備・食糧+カメラをもって約17Kgの荷をもって
カトマンズ→ルクラ→ナムチェ→ドーレ→ゴーキョへ。


結果からいうとGOKYO-RIの途中5200M地点で高山病がピークに達し、自分の限界を感じ
朝焼けだけ写真に収め、GOKYOへ降りたのち高山病などもろもろの理由からヘリで下山しました。




今回は山観というわけでそれについて書きます。
今回のNepal旅で最も感じ、気づいたこと。



「なぜ山に登るのか。」



僕は今回その答えが少しでました。
The answer is browing in the windの考えは置いときます。




僕はカトマンズから何とか飛行機に乗り込み、ルクラに降り立ち、翌日ナムチェを目指していました。

7月、8月はNepalでは雨期にあたり1年のなかで死ぬほど雨が降る季節、初日は雨に打たれ、
その日は、雨こそ降っていないにしろ、曇り。

山の眺望は望めず、ナムチェへ向かう急登をあがっていました。


この地方は道路もなく、物資はナムチェへのヘリコプターかルクラから人の足によって運ばれます。

その荷の重さは約100kg

100kg

僕らは登山で20KGとかで重いとかほざいてるのにやつらは100Kg

自分なんてまだまだだと思い知らされました。


とはいえ自分も17kGの荷を持ちながらぜいぜい言いながら、そののぼりを登る。


この地域での一般的なトレッキングは基本的にはロッジに泊まるので、テント寝袋などは持参せず
食糧も基本的にロッジなどでいただくため、持つべきものは着替えくらい。















なぜ山に登るんだろう。



「そこに山があるから」


そんな感じるままに生きれるのか。

少なくともそれを模倣するようじゃ、ただの真似事。





山頂を目指したければどんな方法でも登れる。


荷をすべて持っていく方法。
ポーターに持ってもらう方法。
ヘリで山頂付近まで行き登頂。


方法はいくらでもある。

なぜ登るのか。なぜ山にいるのか。


絶景が見たい。
登ったという実績がほしい。
そこに山があるから。
自然と一体になるため




理由もいくらでもある。


僕はなぜこんな荷を背負い歩いているのか。








先ほども述べたとおりナムチェへ到着した日の天候は曇り。

山のほとんどが雲に覆われ、眺望も何もなく。ただ遠くに見える滝を見て楽しむ。



次の日に期待し。

自分は星空を撮りたかったので翌朝4時に起床することに。




翌朝。


満点の星空。澄んだ空気。



飛び起きて、前日目を付けていた。ナムチェの丘まで薄暗い道を駆け上がる。





そこで見た景色
_DSC0508_020.jpg



_DSC0862_013.jpg


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前日は雲に覆われていて僕の目には何も見えなかった。



確かにそこに「在った」




「ただそこに在る」



ただそれだけ、そこに神話的な意味合いがあろうが、



どんな地理的な意味づけがあろうが。





ただそこに在る













人間は他者によって創られるものだといわれる。




他人に影響を受け、他者のおかげで、他者に依り生きる。



山はどうだろう。


雲に覆われ、雪をかぶり、雨に打たれ


でも、ただそこに在る。


何にも依らず、何にも頼らず、何にも影響されず。


ただ在る。



僕はこの存在に憧れているのだと思う。



他者からの影響をうけず。


ただ自分らしく、あるがままを受け入れ、在る


そんな存在に。






そしてもうひとつ気づく、


山には流れがある。



水の流れ、風の流れ、空気の流れ、命の流れ。



僕はその存在に憧れるあまり、その流れに汲み入りたい。


そう願わずにはいられないのだと気付いた。



だから僕にとって山の頂に立つことは強い意味を持たず、


僕がそこに在ること




その流れの一部に近づくことが最も重要なんだと。









「ただ在る」そんな存在を目指して。

生死画・導画


動画編集しちゃろー!
とか思うんですが


写真ならまだしも動画だとカメラのスペックの悪さがでてしまう。

マクロに強いコンデジだからマクロ世界スペシャルビデオなら作れるけど

広域をうつしちゃうとやってられぬ。



最近はカエルちゃんにはまってます。
カタツムリ

あとマクロな世界たち
カエルン

プロフィール

emmotto

Author:emmotto
CHANGE THE WORLD
自然の中で生物的に生きるをモットーにしてます。

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